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昔のまちがい

盛岡市ピアノ教室「ミチコピアノアカデミー」

2021年7月8日のブログです。

前世の話かなと思うくらい、自分の中では勝手に大昔の記憶となっていますが、私自身は、まったくダメな母親でありました。自分ではそう思っています。

娘のピアノに関して、怒ってばかりいたのです。

申し訳なかったという思いだけしか、今はないのですが、その頃の自分は「本番でミスなく良い演奏をしてほしい」という気持ちばかりだったのかなと思い返しています。発表会にしろコンクールにしろ。

娘は素晴らしいパフォーマンスができる子だったと思っています。魅力的な演奏で、おほめにあずかることも多く、年齢のわりにまあまあ難しい曲が弾けたりもしていました。バカな母親の私は、おそらく期待ばかりで、肝心な「こどもを本当に育てる」ということについての姿勢が、まったくなっていなかったのだと思います。ピアノに関してそうだったということは、他についてもしかりだったのでしょう。

皮肉なことに、子供が成長して巣立ってから、こうして親としての気づきを得られ、わずかな一歩でも成長できたのかもしれません。それでも、大きな意味があることだと思っています。

現在このように大きな気持ちの変化がもたらされたのは、このブログにも何度も書いているように「自分自身の研鑽を本格的にやり直すことにより、視野が広がっていったから」ということも、大きな一因といえると思います。「教わる」ということ、「練習する」ということ、これらを「親であり教師でありながらこなし続けていく」ことは、実は精神面の成長にもつながっていたのかもしれません。

自分自身の親としての反省は、現在のピアノのレッスン、生徒さまへの接し方に、何かしらの良い影響はあるのではと思っているところです。

昔も、生徒に対して怒ったりすることはほとんどなかったかもしれませんが、練習の仕方への「画一的な注文」は細かかったですし、「音符を並べて曲にする」ことしか見えていなかったかもしれません。とにかく弾けるようにさせなければ、という思い、「弾ける」とは何ぞや、の部分、すべてが、浅いものだったなあと振り返っています。(・・もちろん、ピアノを通じて楽しいこともたくさんたくさん、ほんとうにたくさんあったけれど!)

言葉にするのは難しいことなので、この辺にしておきますが、人間、過去の自分を反面教師にすることもできるのだと思っています。もちろん、このような精神的な気づきだけで魔法のようなレッスンができるわけでもないわけですが、それでも、親や教師の精神的な部分というのは、最後は、一番大きな影響をもたらすものだとも感じます。

いまは「早熟」、つまり、小さいうちから色々弾けるとか、どんどん練習するとか、それを特別目指してはいないし、さほどよいこととも感じません。やりたければどんどんやらせる、そうでないなら怒らず少しずつ。(急いで結果をだすということは、こぼしてしまうこともたくさんあるわけです。今は、その過去にこぼしてしまっていた部分に注目したレッスンになっているかもしれません)

人間、思考と行動が一致するには、本当は十分な時間が必要なのでは、と思いながら、日々、それぞれの生徒さまへのレッスンを工夫していきたいと思います。