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生徒へのレッスンで毎回思うこと

2020年2月8日のブログです。

皆さまこんにちは。

今のレッスンを受け始めてからですので、最近といえば最近になります。生徒に対するレッスンの時、一回は感じる気持ちがあることに気づきました・・・

「あー、良かった」という気持ちです。

・・・レッスンでは、様々なことを取り上げ、指導することになりますが、レヴェルはどうであれ、生徒に対して「響きはどうかな、もっと良い響きにならないかな」という場面が必ずあります。その時、「ちょっと貸してね」と言って、自分が、単音なり和音なり短いパッセージを弾くわけです。(うちのレッスン室はグランド一台ですが、生徒と同じ楽器で手本を示せるので、そのほうが都合がいいとわたしは思っています。違いがはっきりしますから。)

その時、自分は最大限今学んでいることを発揮しようとするわけです。(本気も本気です・・・)

そして出てきたものが、生徒の響きよりは明らかに「だいぶまし」であることに、心から安堵いたします。(まし、という言い方しかできないですね。大野先生のところではまだまだ入門生。ひよこもひよこの状態ですから。)

生徒の反応が顕著だと、ますます「あー、レッスンに通い続けていてよかった!」と嬉しくなります。

生徒の響きに対して先生の響きがどうであるか、同じ時間空間の中で、生徒と共に検証し、違いがあるならどう違うか、楽譜に書いてある同じ和音なのに、聴こえ方が違うのはなぜか・・・これこそ耳のレッスンだと思います。こういうこともできるようになってきて、俄然レッスンが楽しいものになっています。枠にとらわれず、かつ、充実したものになってきている気がいたします。(私の場合、「東京のレッスンでの先生は素晴らしくてね・・」と、自分よりはるか上の世界があるのだということも、毎度話さずにはいられません。)

そして・・・当然ですが、生徒もじーっと見て、毎度話を聞いていますから、少しずつましになっていくわけですよ。その時間にしろ、その後のレッスンにしろ。(もともと普通の奏法で教え始めた生徒たちの場合、途中からシフトチェンジした私についてきてくれているので、色々な面で足りないことだらけですが、明らかに音は変わってきています。)

そうなっていくと、こちらは次は「圧倒的にまし」な響きを見せなくてはならないし、それが責任だとも思います。そして、それがひたすら楽しいわけです・・・

・・・ピアノの先生は先生の数だけ教え方もこだわりもあることでしょう。私は、自分が実験台となって検証したことをお伝えしています。だって、どんなであれ、生徒さんは時間とお金と労力をピアノにつぎ込むわけです。適当なことは伝えられない。

「ピアノを好きにさせる」というのは、私の場合はですが、口から出てきません。それは、受け手の問題だと思うからです。同じものを、楽しいと思う人も思わない人もいる。子供だってそうです。「先生も生徒もありのまま」が一番だと考えています。

自分が素晴らしいと心から感じるもの、これからピアノに向かうのならこれだけは気をつけられたらいいと思いますよ、ということを、その方のレべルに合わせて、素直にお伝えしていくことしかできません。一人の教師にできることって、そんなに多くはないのでは?と、この頃思います・・・・

ご興味がございましたら一度いらしてみてください。