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「補う」という発想

盛岡市ピアノ教室「ミチコピアノアカデミー」

2023年11月16日のブログです。

そもそもピアノを弾けるようになる、今より上手くなるためには何が大事かという根本の考え方につぃてです。

いくつかあると思いますが、ひとつの結論として、「意識的に今足りないものを補っていく」という発想だと思います。

自分に足りないもので、必要なものは何かということです。足りなくても不必要なものは除外しましょう。この時、優先順位も考えましょう。

受験生と趣味の人では、必要なものが違います。

それを「補っていく」と、考えて勉強なり練習なりを重ねていくわけです。

練習をコツコツ積み上げる、というのは、確かにその通りなのですが、補う、という考え方の方がしっくりくる場合もあると思います。

補う、というのは、今の自分と理想の地点との差を埋めようとすることです。ただコツコツ積み上げる、というのとは、意識がちょっと違います。はた目には同じように取り組んでいるように見えても。

例えば自分の演奏には表現力が足りない、イメージがわかない、そんな悩みがあったとします。過去の私がそうでした。この場合、そもそも表現力のある演奏にあって、自分に足りないものは何なのか、を、探るところがスタートです。

音楽を学ぶ時、ぼんやりとした抽象的な言い回しにまどわされてはいけないと思います。深堀りしなければ前に進めないことはたくさんあります。

表現力豊かと感じられる演奏には、演奏者の精神性だけではなく、音そのものの響きの違いがあった、と知ったとします。そうしたら、どうやったら自分にもそれができるようになるのか考える、試す、教わる、練習していく、この順番です。

これは一つの例えで、読譜の力が足りない、指の動きが弱い、などなど、色々な足りないことがあると思いますが、同じように「どれくらいのことができるようになりたいか」という、現時点での理想をイメージするのは良いと思います。先生に色々弾いてもらって、それぐらい弾けるようになりたい、というイメージを理想とするのも良いでしょう。

子供の場合、教える側の目線で、それらのことを提案していくことが中心になってはいきますが、小学生ぐらいになれば、案外自分のことがわかっていたりもします。レッスンで対話をしていく中で、できるだけ、それぞれが自分の意志を自覚し、そこに責任を持って頑張れるようになってほしいなあ、と、どんな初歩の生徒さまに対しても、上級の方に対しても、等しく感じています。

補う、というのは、まだスカスカでも良いのです。前のスカスカよりよくなった、と感じられれば。この話が上手く伝わっているかわかりませんが、コンクールでよくみる「どうだ!」と言わんばかりの演奏は、下から上へとびっしり隙間なく積み上げた結果、というかんじです。その演奏がもつイメージの高さではなく、積み上げたものの隙間のなさに目(耳?)を奪われる、という感じです。もちろんすべての演奏がそうだ、というわけではありませんが、コンクールでスキを見せるわけにはいかないので、どうしても「上手い」と感じさせるのはそういう方向に行きがちのように思います。

コンクールという競技で結果を出すための参加の仕方としては良いかと思うのですが、その先、その積み上げたものは、立派であればあるほどなかなか演奏は変わりにくいかと思います。隙間がないので限界を感じます。

でも、スカスカを補っていく、という学び方は、その逆なので、演奏が変わっていける可能性に満ちています。気づいた時、理想を上に引っ張り上げることもできるので、思いもしないレベルの何かが生まれる可能性もあります。聴く側の耳によるところが大きいですが、高い理想イメージを持ったうえでの今はまだスカスカの演奏というのは、わかるものです。少なくとも、そういう取り組み方をしている人にはわかると思います。

また、補おうとしたものだけでなく、案外、結果的に他の要素も自動的に補えていたりもするものです。

話がわかりにくかったらすみません。でもこれは、ピアノに限ったことではないですね。

・・・おまけになりますが、教える側は、生徒さまがどんなに初歩であっても。幼児てあっても、「下に見ない」ということが最も大事なことだと感じています。なぜなら、そのことが生徒さまに伝わると、伸び伸び心を開放できなくなる場合がないとは言えないからです。音楽を学ぶ上でベースになるのは、やっぱり心の状態だと思っています。

先生にも生徒にも心の余裕がある、ということは、大事です。