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感じていることは何だろう

盛岡市ピアノ教室「ミチコピアノアカデミー」

2022年2月10日のブログです。

自分が何を感じているか、ということを意識するのは大切なことだ思います。

はっきりした快、不快はわかりやすいところですが、それ以外の、普段の一見どちらでもなさそうなとき、どちらよりなのか、意識できるようになると、行動のコントロールもしやすくなります。

ちなみに、私自身、このブログを書く気になるときは、完全に「快」の状態です。でも、生きていれば不快を感じることもあります。そんな時はピアノに向かいます。するとすぐに「快」に戻ります。わたしにとってピアノは最高の友です。

・・・さて、ピアノの練習を「やるべきこと」に位置付けて、不快よりの感情が伴っているようなときは、何らかの手立てが必要だと思います。

ピアノの練習をしているとき、「心底いやだなあ」と感じるような人は、そもそもわざわざ習ったりしないでしょうが、時にこういうことはあるかもしれません。「すぐにできると思っていたけれどできない」「できるようになるまで練習する自信がない」とか。「たまたま疲れていて面倒だ」というだけのことだって、大いにあります。

そんな時、まずは、ピアノを習ってどうなりたかったのか、何を目指したのか、最初の気持ちを思い出してみるといいですね。これは、案外忘れそうになることです。最初の気持ち、と、限定せずとも、今現在の理想や憧れ、でもいいです。

実際やってみたら思っていたのと違った、ということもあっていいと思いますが、最初の気持ち、憧れの気持ちを置き去りにして、目の前ばかり見てしまうということもあるかもしれません。

素敵な花畑を作るぞ、と、畑を耕すところで、くじけてしまうようなものです。でも、耕して種をまいて適切な水や肥料を与えて、「年月」というものをかけなければできません。なんでも同じことだと思います。

イメージしたような花畑までになる前、ひとつの種が芽を出した段階のうれしさや、喜びを、おおいに感じることも大切ですね。このへんは、指導者の責任にもなってきます。小さな達成を大きく意識できる人は、幸せだと思います。

また、レッスンに行くとき、帰るときについては、心が「快」を感じていなければ、これも、見直しが必要かと思います。

レッスンは、練習ではありません。行き帰りが楽しくなかったら、もはや「アウト」だと私は思います。これは、操作できない気持ちだと思います。

指導者からすれば、生徒さまがどんな状態でいらしてくれたとしても、やれること、やりたいことは山ほどあるし、いつだって時間が足りないというものです。だから、万一レッスンが楽しくないとなってきたら、その気持ちは、先生に伝えるべきです。そうすることで、変わっていけるかもしれません。原因はピアノ以外にある、ということだって、あるかもしれません。

「つまらない」という時は、もうアウトでしょう。

飽きた。つまらない。という感情をはっきり感じたら、何かを手放し変えていかないと、というサインです。ピアノそのもの、というより、その取り組み方、教材が原因かもしれません。そういうときも、まずは先生に伝えることです。

我慢して、良くなることはあまりないと思います。本当のことを積み重ねてものにしていく、、というのは、根気はいるけれど、我慢はいらない。根気と我慢は全然違います。我慢は不快、根気よくは「快」だと思っています。外側からは同じことをやっているように見えても、その人の中がどうかという問題です。

「ピアノのレッスンを始めたら、いやな仕事も楽しくなってきた。」

「ピアノのレッスンを始めたら、嫌いなピーマンも食べられるようになったぞ!」

みたいに、ピアノを楽しみに習うことで、日常のテンションがほんの少し上がってくれると嬉しいなあと、思っています。自分の関わる物事というのは、つながっていると思います。

良い意味で、「自分の生活の中にピアノがある」ということの存在感みたいなものがしっかり感じられるならば、ピアノを習っていることは、大正解だと確信します。私自身がそうであるように。