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全身のつながり

2020年6月18日公開のブログです。

皆さまこんにちは。

盛岡は爽やかです。コロナのことが頭から離れることはありませんが、季節はたしかに移り変わっていきます。

コロナ我慢の時間(今よりもう少し前)、悩みながらもあきらめず日々ピアノに向かい、自分は少しだけ(1ミリいかないかもしれないけれど)前進した気がしています。これまで何がまずかったのかがだいぶ感じられるようになってきました。

大切なのは末端ではない、ということ。

最小限の指の動きで弾ける身体とはどういうことか。

指(末端)がどんなに器用で自由に動いたとして、そういう演奏による限界は何か。

・・・全部、何度も耳にしていることですが、知っているというのと実感というのは、また、別物です。

言葉にすると語弊があるかもしれないし、結局言葉なんて、はじめから中身をわかっている人にしか通用しないものだとも思います。それでもあえて記しておこうと思います。

もはや、自分の腕がフォークのようなものだと考えるほうがよほど近い気がします。

フォークでピラフを食べることはできます。

いま、お米一粒を鍵盤一個として、なぞらえています。

フォークで最後の一粒をすくうこともできる。

指一本につき、鍵盤一つを、死に物狂いで探し当て、しかも間違わず、しかも速く・・・・こういったことでは全くないし、腕をぶらぶらに脱力して、鍵盤に落としまくることでもない。

全身がつながって、必要な筋肉が使えてしまうと、最終的には楽かもしれないが、楽々弾ける、と言い切るのも誤解を招くな、と、いま感じています。

指はもちろん末端だけど、腕さえも、枝みたいなものだという意味では末端だと感じられてきました。

実際取り組んでいる人にしかわからない記事になってしまいごめんなさい。

ピアノは本当におもしろく、やめられません。私の記事を読んで「難しい、レベルが高い」と誤解されたら残念なことですが、わたしの言っていることは、基本中の基本でありながら、長年教えることをしていた私でさえ、学ぶ前は知らなかったことですので、こうして記しています。

全身のつながりができると、コントロールがきくから、結局、思いを音に反映させられる、だから、身につけたいのです。

学びの動機は単純です。