結果としてどうであるか
盛岡市ピアノ教室「ミチコピアノアカデミー」
2023年12月5日のブログです。
「結果として」という言い方は、わりと使うほうかな、と思います。この話は過去にも何度か書いてきた気がしますが、今思うことは、繰り返しになっても記しておこうと思います。
たとえば、ピアノを弾く時に肩が上がる場合。
肩を上げないように気を付けましょう、では、まず根治は難しいと思います。
なぜなら、その人は、無意識であっても、肩を上げることによって、何らかのバランスをとって弾いているからです。それを直すためには、「結果として肩が上がらない弾き方」を身に付けるしかないということです。
精神面も、「結果としてどうか」が、すべてだと思っています。
いつもスッキリした気持ちであるかどうか、だと思います。
うれしい、とか、達成感、とか、逆に、がっかり、あるいはやる気が起きない、など、ピアノとの関わりの中でも色々な気持ちを味わうことと思いますが、どんな感情であれ、そのすぐあとに「結果としてスッキリ」であれば、上等です。
特に、プラスの感情、高揚感や達成感というものが過ぎ去ったあとに、スッキリというより、寂しさや気が抜けたような感覚が出てくるときは、取り組み時に、そもそものバランスがどこか崩れているのだと今の自分は気づいています。頑張り過ぎた場合です。目指すものの中心が自分の内側にある場合には、バランスは崩れにくいはずです。
逆に、もっとやれたのに努力を怠ったと自覚している場合も、何かが過ぎた後にスッキリ忘れることができないこともあるかもしれません。
人の心は、複雑そうでいて、実は案外その逆なのではないか、と、思うことがあります。
経験したことが記憶からすぐになくなることはありませんが、ある意味「事柄はすぐ忘れる」ということが大事、というか、自然です。事柄は忘れても、その事柄を経て心に刻まれた感覚は、明日の自分を作ってくれます。そうやって人は成長しているんだなあと思います。
淡々と、とよく言いますが、まさに、ピアノに取り組む日々がそうでありたいと願います。人生そのものと同じです。