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フィルターを外す

盛岡市ピアノ教室「ミチコピアノアカデミー」

2020年12月25日のブログです。

こういう言い方がふさわしいのかわかりませんが、言いたいことはたぶん伝わると思います。好みを選別する「フィルター」を外す勇気、について書いてみます。

何事にも好みというものはあり、それは悪いことではなく「自分自身との相性が良い」ということでもあると思います。(演奏する曲が『合ってる合ってない』というのも聞かれる言葉です。)ですから、好みを優先するのは基本的に良いと思うのですが、自分自身が演奏したり指導したりする立場にある場合は、「好みをとっぱらう」努力?をすることも必要かなって、思うようになりました。

尊敬する恩師のある先生が「自分はいつも、演奏でも指導でもいったん自分自身を疑うことにしている」とおっしゃっていたことが、最近また思い出され、「これまでの経験から間違いない」と思える感覚を捨てる(というか、いったん横に置く)ことができるというのは、すごいことだよなあ、と、あらためて思うのです。そして、必要なことだと思います。

好みは、自覚しないところで判断の基準になりがち。そのことを意識しているだけでも違うんじゃないかと思います。自分の過去を振り返ってみても、発表などの前に、生徒の演奏の「うわべをきれいに整える」ためのアドバイスがワンパターンだったようにも、今となっては思います。自分の思う「綺麗」な演奏(好み)があるのは悪いことではないけれど、本当は、もっといろいろな角度から見れなければれいけない、と、現在は感じております。(そのために、たくさん勉強しなければいけないんですよね。)

・・・突然思い出したんですが、大昔の学生時代、ピアノの試験曲で、苦手なブラームスを「わざわざ」選んだことが一度だけありました。なぜそうしたかというと、たまにはそういうことをしてみなければいけないような気がしたから、だったと思います。でもあの時、ブラームス(の中でも苦手中の苦手みたいな曲)に取り組んだことは、今の自分の細胞の一つになっているはず。(あの時は、勇気を出してフィルターを外し、試してみたんだと思います。)

そして、あれ?好みじゃないと思い込んでいたのは「知らなかった」だけなんだ、と気づいてみたり。案外はまってしまったり。

・・・こういう小さなことの積み重ねも面白いかなって思います。ピアノに限りません。そうこうしているうち、好みそのものが気づけば変化している、ということもあり得ます。

色々な良さを理解でき味わえるように、もっとなっていきたいです。

好みに偏らない勉強をしていかなくては。最近は、少しずつですがそうなってきているような気がします。頑張ります!