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素人の耳?

盛岡市ピアノ教室「ミチコピアノアカデミー」

2021年2月10日ののブログです。

これまでに何度も「音楽は素人なんですけど」とおっしゃる方たちの感想をお聞きする機会がありました。「ピアノのことはわからないのですが」とおっしゃるかたの耳は、『意識的になにかを拾って聴くということをしない(できない)』からこそ、本当に聴けているのではないか、と思うことがあります。

専門の人は、幼い頃から訓練をし、音符や和音を聴いて書きとることができ、間違わないように何度も練習して、指一本一本に意識を向けて繰り返し弾き続けていくうちに、ある意味「聴く=音符を耳で拾って頭の中で瞬時につなげる」みたいになっている面があるような気がします。

だから他人のミスタッチにも敏感に気づく。(気づかないようでは教えることもできませんが……)

こういう聴き方と、音楽そのものをまるごと聴くことは、両立しづらいのかもしれません。まるごと聴いているつもりでも、一個一個の音を頭の中でつなげて聴いているのが、弾ける人間にありがちな弱点かも、とさえ思います。

まるごと聴く(うまい言葉がみつからないのでわかりにくかったらすみません)ことをしようとしても、演奏者自身が音の立ち上がりで音楽にしようとしている演奏は、聴きづらく、「大きな音であるほど聴きたいものが聴こえない」という現象に遭遇する場合もあるようになったのは驚きです。

音楽に素人、という方々の感想を、私はこの頃ますます頼りにするようになってきました。もちろんそれがすべてではないですが!

今勉強していることは、指弾きの弊害と同時に、聴音トレーニングの弊害(ちょっと強い言い方になってしまいますがあえて書きます)に気づかせてもらうことができ、日々こうして考えることにつながっています。聴音トレーニングは、「音そのもの」に対して先生も生徒も鈍感にならないように……と思います。

できるできない、以前に「気づく」ということがなければはじまりません。すぐに答えがでないことも、たくさんの気づきが積み重なって、何かにつながることもあるかもしれません。先生というのは「答えを教える」だけではなく「気づきの素晴らしさ」を生徒に感じさせることができる存在でありたいと思います。

教えてもらう=気づき、ではないところがポイントなのです。良い教師は、生徒が気づくまで見守ることができると同時に、気づきにつながる的確な指導を常に模索している人だと思います。気づきにつながる指導もなしに、「自分で考えて気づきなさい」といっても無理な話です。

まあ、世の中にはいろいろな考えがあると思いますが。

思うことをつらつら書きました。