盛岡市ピアノ教室「ミチコピアノアカデミー」

2022年10月23日のブログです。

ピアノの勉強は、長い道のりです。

この「道のり」こそが、輝く舞台であるということを、最近はっきりと実感しております。

案外、目的地は設定しているけれど、どこを歩いているのかわからない、といった、迷子のような勉強の仕方に陥ってしまうこともあるのではないかと思い、今、この記事を書いています。

たとえば、一つの曲を弾けるようになることが目的地だとしましょう。とりあえず、曲にするというはっきりしたイメージがあります。発表の場があるのなら、その日に向けて「その曲がうまく弾けるように」頑張って練習しますよね。その練習の内容が、その日のため、を越えた「本来のピアノの勉強に必要な内容」と一致していれば問題ないのですが、そこが適当だと、どこかで続かなくなってしまうかもしれません。

もし、頑張ったのに目的地にたどり着けなかったら、がっかりします。無事にたどり着けたら(演奏を褒められたりしたらなおさら)嬉しい気持ちになります。そしてまた目的地を設定する。専門的な学びの場合は、受験なども含むかと思うのですが、こういった「目的地」つまり「乗り越えるべきイベント」というのは、実は、道のりの途中にあるたった一日の出来事でしかないわけで、ピアノの技術習得、自分自身が音楽と関わりながら幸せに生きていくということとは、それほど、というか、ほとんど関係ないのです。

ちょっと考えればわかることなのですが、音符を並べれば曲に聴こえる、ということの一方で、音符を並べただけでは音楽に聴こえない、という本音も出てくるのがピアノの演奏というものです。どんなに初心者であっても、ちゃんと学ぶだけで、素敵な音楽になる可能性もあるし、難しい曲を弾いても、音符並べに聴こえることもある。

発表しようがしまいが、学び続けていく中で「自分なりのピアノ学習の道」のイメージ、やるべきことができてしまえば、あとは楽しさと進歩しかありません。目的地は、あってもなくてもいいのですが、少なくとも「やる気を出すため」という理由での設定は、必要がなくなります。そうやって歩いていくと、むしろ、設定した目的地よりずっと素敵な、思いがけない場所に、折々にたどりつけるかもしれません。

これは「周囲に惑わされず、誰にも奪われない喜び」と言っても良いですね。どんな小さなことでも!

何をどう学ぶかは、その人のピアノ道が、長く続く幸せなものになるか、途切れてあきらめてしまうものになるかの分かれ道ともいえるぐらい、重要なことだと感じます。

自分に合った「ピアノ道」を歩けている人は、それだけで、ものすごく幸せなのだと思います。