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生きた演奏

盛岡市ピアノ教室「ミチコピアノアカデミー」

2024年4月16日のブログです

人生は色々なことがあります。生きていく、ということは、外側に色々な風景を見て、体験して、そこで様々な感情を感じ続ける、ということですよね。

嬉しいことや楽しいことだけを積極的に感じようとし、悲しいこと、悔しいこと、怒りのような感情に蓋をしていくことは、歪みが生まれると思います。

本来人に与えられた様々な感情は、そこに良いとか悪いとか、意味を持たせてしまわず、ありのままに感じることで、次に進めるようにできていると思います。

どう行動するか、というのは、また別の話です。

ピアノや音楽を学び、演奏していく上で(たとえそれがどんなレベルであっても)、自分の感情をきちんと感じ、解放させながら生きる、暮らす、ということは、大事なことではないかとこの頃思うのです。

念のため言いますが、感情を開放させる、というのは、たとえば負の感情を人にぶつける、ということではありません。それは、普段解放できていないということかな、と、思います。

自分の感情に名前をつけず、普段から、今自分はこんな気持ち、ということをしっかり味わう感覚かなあ、と。

もともと、幼い子供、ってそんな感じではないでしょうか。なんでも表します。それが、だんだん、成長するにつれ、集団生活の中で善悪を覚え、表向きの顔、態度を作るようになっていく。そのこと自体は大切なことも含んでいるけれど、一方で、ともすると、自分が本当に感じていることが、わからなくなっていくかもしれません。

私自身が、なぜ、一見言うことを聞かない子とか、大人に言われた通りにに動かない子とか、あるいは、ぱっと見、ピアノに向いているとは言えないけれど、何か音楽的な感覚を持っていそうな子とか、面白い感性を持っている子とか、そういう感じのお子さんたちのレッスンも、実は好きなのか、その理由が、自分のことながら、わかってきた気がします。

そういうお子さんたちと付き合っていくと、大人になってしまった自分一人では絶対に気づけない大切なことを思い出させてもらえるし、逆に、大人になってしまったからこその様々な経験から、そんなお子さんたちに胸を張ってお伝えできることもたくさんあるのです。

ちまちましたことを気にせず、伸びやかな大人になってほしい!という願いを込めてレッスンさせて頂いています。

話が長くなりましたが、「生きた演奏」というのは、教え込まれた間違いのない演奏ではなく、その人の心が見えるような演奏かな、と、思います。上手くても、上手くなくても、魅力のある演奏というのは、生きた演奏かなと。その前提として、自分の感情をちゃんと感じていきたいものだな、と。大きな感情の揺さぶりばかりでなく、季節を肌で感じてその瞬間瞬間感じるような些細な感覚も。そう、些細な感覚を意識することが、大事かもしれません。

本当の意味で生きた演奏、個性ある演奏になるために、色々な音が出せるために技術的に大事なこと、ピアノという楽器はどうやって音を出せばどんなふうになるか、という大切な一つ一つのことを、毎回のレッスンでコツコツ学んで行きましょう。より良い技術を身に付けるぞ、と、意識してまいりましょう!