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ピアノ指導の難しさと奥深さ、そして素晴らしさ

盛岡市ピアノ教室「ミチコピアノアカデミー」

2024年1月15日のブログです。

「初心者から上級の方まで、その方に応じて丁寧にご指導いたします。」

と、わたしも含めたほとんどのピアノの先生は、このような意味のことを掲げていますし、心からそう思っています。ピアノを学ぼうとするたくさんの皆さんのお役に立ちたいと。そして、ピアノ教室を開くレベルまでいっている、というのは、先生自身は少なくとも上級のレベルの作品を弾く、とりあえず弾くことはできる、という段階まで勉強してきたということです。あたりまえのことですが。

しかしここで、私自身がこれまでの長い指導経験、特にも最近数年間の指導経験を思い起こして整理してみた時、「どんなレベルも網羅して応じたレッスンができる、ということは、口で言うほど単純なことではない」ということに、はっきりと気づいています。

楽譜を正確に読み取り、読み間違い、弾き間違いを指摘する、ということは、ピアノの先生であれば、どの段階の楽譜であっても、まずできることです。すでにこの世に決まりとして存在していることを上手に伝えていくことは、安心してできることです。

そこではなくて、「ピアノを弾く」ことそのものに関しての指導、となると、本当に奥が深いことです。

指導の内容も勿論ですが、限られたレッスン時間をどう使うか、など、その奥深さは、挙げればきりがありません。

また、教える、ということは、教わる、という立場の人がいて成立します。このことは、演奏する、と、聴く、に関しても多少通じることですが、一方的に、良いと思うこと、素晴らしい、価値がある、と思われることを伝えても、受け取る側との間に通じるものがないと、その価値は発揮されません。レッスンを受ける、という場合、生徒さま側の先生への信頼の感じかたで、その伝わり方は、変わってくると思います。初めてのレッスンでも、回数を重ねていっても、このことは平等に作用する、ということが面白いところだと思います。

信頼をしていない先生に長く習うことは、まずないことでしょうが、その「信頼」の度合い、というか、心の底から、この指導を受け続けることで自分のピアノ人生の未来が開かれると確信できているかどうか、とまでいえば、人によりさまざまかもしれません。

少なくとも自分は、そこまでのイメージ、理想をもって、教える立場の側にいるつもりです。まだまだ勉強途中とはいえ、これからますま演奏や指導に磨きがかかっていくはずです。実際そういう変化を感じながらここまできました。未来の自分の可能性への確信、そして信念を持たずに人にものなど教えられるものではありません。

習う側の皆様にも、大いなる自分の可能性と、そして、何にしろ、「直観」のようなものも信じ、先生に教わったり、自分で学び練習したりと、充実したピアノライフを送っていただきたいと願います。

私自身も、同じ感覚で、指導というもののの難しさと奥深さ、そして素晴らしさを日々実感しつつ、同じ学ぶ側の人間としての在り方も、見直していきたいと思っています。

できている、と思っていたことを、まだできていない、あるいは、何か違ったかも、などと、ふと感じはじめたら、何かが変化、進歩していくきざしかもしれません。

頑張りましょう!