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従順の罠

公開日 : 2020年2月12日のブログです。

皆さまこんにちは。

教室を始めてしばらくした頃、何か勉強しなければと思い、全日本ピアノ指導者協会に加入しました。当時はまだ岩手には支部がありませんでしたから、わざわざ仙台まで出向き、受けられる講座を受けたりしていました。その後何年かして岩手連絡所(現在の岩手支部)ができ、そのお手伝いもさせて頂きながら、様々な先生の講義をたくさん聴講させて頂いてきました。世の中には素晴らしい先生が数えきれないほどおられるということが肌で感じられました。そして、多くの先生から、知識や教え方のコツなどもたくさん学びました。岩手メンバーの素晴らしい先生方との出会いも、大きな財産となりました。

ここからは、私個人の場合なのですが、初めの頃は何もかも新鮮で、学んでいる!という手応えもありましたが、何年も続けているうちに、「自分が教師として本当に成長しているのかわからない」という焦りにも似た気持ちが出てきました。素晴らしい演奏を聴いたり素晴らしい講座を受けても、完全に自分のものになどできません。(それはあたりまえ)。そこで得た感動を、咀嚼し自分なりに役立たせるには、やっぱり「ピアノの弾き方の根本を学び直す、自分の演奏をよりハイレベルにするためにレッスンを受ける、そして演奏する」ということを、よりしっかりと行わなければ「私の場合は」だめだな、という意識が強くなりました。

演奏やお話を聞く、というのは「受け身」です。それはそれでもちろん素晴らしい。たくさん情報を頂けます。でも「それだけでは」私には足りないということだったんだなと。「受け身」は、ある意味楽だから、というのもあるかなと思います。

自分自身が「演奏技術を高める」ことに重きを置いて真剣に取り組み、身を削って動くようになってから、すっかり変わったことがあります。自分でもびっくりするほどです。

以前は「黙って言うことを聞く生徒」「言ったとおりに練習してくる生徒」が、教えやすいと感じていましたし、普通に考えれば、当然のことのようにも思えます。しかし、これだけでは、生徒にとっても先生にとっても「場合によっては」危険なこともある、と、今は感じています。言葉にするのはいささか勇気がいりますが「思考停止」というか、先生も深く考えたり自分の足りない面を露呈することにもならず、課題を出し続け、生徒は「自分で考える」ということから遠ざかる危険もある。(繰り返しますが、あくまでも「場合によっては」という仮説です)

個人的にですが、いま思うことは、生徒からはたくさん質問してほしいし、何なら、反論してくれてもいいのです。要は、「完全な受け身にならない」こと。先生も完璧な人間ではない、という前提で、ちゃんと考え、納得して練習してほしい。こちらも、答えられることは誠意をもって答えるし、知らないことは知らないと言い、調べられることは調べます。特に「弾き方」に関しては、どんどん質問してほしい。お互いに何か発見があるかもしれません。

「意思があり、それを表現できる」たとえそれが「練習は嫌、この曲は嫌」ということであっても、それを表してくれると、私にとっては非常にレッスンをしやすい生徒のような気がいたします。あとはコミュニケーションしながら進めていくだけです。

素直になるな、ということではなく「自分で考える」習慣をつけてほしいということです。

レッスン時、生徒さんがその時「自発的に」なにをしようとしているか、わたしなりに「観察(ちょっと大げさですが)」させていただく感覚は、「生徒が上手くなるように教えなければ」と頑張っていた頃とは、一味も二味も違います。練習をしてきたかどうかは、どうでもいいとまでは言いませんが、それよりも、「今、この瞬間どうか」が、とても大事なことです。

・・・生徒さん側にもお好みがあるでしょうから、一概にどんなレッスンが良いとは、もちろん言えるはずもありませんが。

今のわたしのレッスンは、一見自由にやっているようにみえる(かもしれない)ですが、内容は、昔とは比べ物になりません。(ピティナの講座で教えてもらった色々なメモは、大切な財産として今も時々取り出して眺めています。特に知識の面で、とてもお世話になった、という印象です。本で読むより、それぞれの先生の咀嚼を通してのお話はたいへん理解しやすいと思いました。)

・・・ピアノの先生としてどうあるべきか・・・永遠の課題です。「自分らしく」としか言いようがないのかもしれません。

もし、100人の先生に同じ曲でレッスンを受けたら、間違いなく100個の「自分にはない何か」を頂けるでしょう。それぐらい、ピアノレッスンて、その先生の個性が乗っかっているものではないかと思うのです・・

長くなりました!ではまた。