自分という居場所
盛岡市ピアノ教室「ミチコピアノアカデミー」
2021年2月2日のブログです。
一年の12分の1が終わりました。はやい!と言いたい感覚はありますが、振り返ってみると、すでに新しい曲(コンサートプログラムレベルのもの)を1曲、ひとまず暗譜できており、さらに複数の大曲、生徒さまのための曲も順調にすすめることができており、人生の中で異例の「無駄のない練習」ができていることに驚いております。
あらためて感じますが、暗譜ができないのが年齢のせいというのは、違うと思います・・・
こうしてホームページやブログで色々語っていることも、自分自身の意識や取り組みを日々整えていくことにつながっていると感じます。それにしてもロシアピアニズムはほんとうに素晴らしい。これにつきます。すぐにできなくてあきらめるのは、もったいないことです。ただただそう思います。こんな私でさえこれほどの演奏ができているのです・・・ピアノの正しい弾き方がわからない、と、もがいていた感覚は間違いではなかった、と、過去の自分にも感謝しています。
・・・さて、この奏法を学び、未熟ながらも学ぶ見通しができてから変わったことがあるとすれば「居場所」の感覚かもしれません。それまでは、立場とか所属とか周囲からの評価とか、そういったものがあることで何か安心するというか、「自分の周囲が居場所」だった気がします。周りに誰かがいて、何かがあるから居場所がある、という感じ方が大きかった。だから、今依頼されている仕事とか、生徒さまが何人いるとか、それらを失うことへの恐れもどこかに持っていたと思います。
今も、もちろん、周囲の居場所は大切です。演奏や指導の機会をいつも頂けることも願っています。でもそれ以前にまず「ピアノ(音楽)に取り組む自分自身そのもの」が、心地よい居場所「ぶれない軸」となりました。自分自身が自分の居場所になれてみてわかったことは、言うまでもなく「心の安定」です。心が安定していれば、演奏や指導にも良い影響になると感じます。
さらにいえば「心のゆとり」もあるかもしれません。
ピアノが人生のすべてではありませんが、ピアノを通してこのような感じ方ができるようにまでなれたことは、神様のお恵みだなあと、ただただ深く感謝の思いになります。きっと、他の物事にも通じることなのでしょうね。