土台あっての
盛岡市ピアノ教室「ミチコピアノアカデミー」
2021年2月9日のブログです。
何事も、それまでにある「土台」あってのことだよなあ、と、この頃思うのです。「土台」は、生まれ持った性質、能力に加え、環境、そしてそれまで生きてきた経験・・・年齢問わず、これらの土台は誰でも持っているもの。
たとえば、私が今こうしてこれほどの年齢になってから、新しいことを学び吸収できているのは、それまでの長い長い時間を、迷ったり悩んだり違う方向に頑張ったり、音楽以外の様々な経験を積んできたり・・・そういった土台があるからこそなのかもしれない、それが私の場合なんだ。そんな風に思うと、「もっと早く学べていたら・・・」という思いは無意味だと気付きます。
どんな人もそうなんだよなあと、しみじみ感じるのです。それが人生。
選べる土台(行動)もあるけれど、選べない土台のほうが基本的には多い。
たとえば、何年も何年も、考えややり方を変えない、という場合にも、そこにはそう判断するその人の土台があるんだよなあ、と考えると、なんだかすべてがしっくりきます。
そして・・・
今、土台の上に積み上げていることが、未来には「土台」になってしまうわけです。
そうやって、何層にも何層にも土台が重なり、生きている限り、さらに積み重ねていくわけですね。
深いなあ。
自分の土台に誇りを持ちたい、人様の土台に敬意を持ちたい、なんだかそんな気持ちになります・・・私は、このどちらも足りていなかったなあと、ぼんやりと思います。年を重ねたからこそ思うことって、たくさんあるんですよね……
それが人生なんだなあ。
まだまだこれからだけど!