ピアノ教師として
盛岡市ピアノ教室「ミチコピアノアカデミー」
2025年3月22日のブログです。
年齢を重ねて思うことは日々色々あります。
なんとなく生きていけるほど、残りの時間は長くはないと感じてもいます。
生きる、ということを、活動、におきかえて考えるとなおさらです。
新しい年度が始まるにあたり、今感じていることは「自分の器に納得して生きる」ということと「脇役に徹する」ということでしょうか……
人生の主役は自分自身だ、ということは誰にとっても事実ではありますが、さすがにここまで生きてくると、自分がどうこう、ということではなく、「この先、どれだけ人の役に立つことができるだろうか」と、本気で思うようになりました。身体が動く、心を使える、このことを最大限に使い、私の場合はピアノや音楽を教える立場として、より人さまの力になれたらと、心より願います。
もう一回り、二回り若い頃というのは、自分の人生として、自分自身を発揮する、という頑張り、自分を人生の主役においた未来への期待、そういったものも含んでいたと思います。案外、つい最近までそうだったかもしれません。
また、自分の器を大きくしたい、とも願っていました。若いうちは、ある意味そうでなければならないとも思います。
でもこれから先は、演奏一つとっても、ドレスを着て、一見華やかそうにステージに立っても、それは自分のためではない。観たり聴いたりしてくださる方の人生にとっての「脇役」として、できる限りのことをさせて頂けたらと願います。音楽を通して心が和んだり元気になったり、年齢を重ねても演奏は進化させられるのだということを通して、もしかしたら人さまを勇気づけることもできるのかもしれません。
人が年を重ねるというのは、こうしてはっきりと感じ方が変わっていくことでもあるのですね。
ピアノ教師としても同様。
ピアノを教える、ということだけではなく、こうして、自分がある程度長く生きて経験してきたことの何かが、関わった生徒さんの人生に少しでもプラスになるようならば、こんなにうれしいことはありません。教師として、若いうちにしかできないこともあれば、人生を重ねて初めて伝えられることもある。そんなところでしょうか。