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表現者としての感じ方

盛岡市ピアノ教室「ミチコピアノアカデミー」

2023年11月6日のブログです。

演奏を評価する、順位をつける、という場面は世の中に多くあり、特にピアノにおいては、数えきれないコンクールが存在する世の中になっています。コンクール、と言っても幼児の時点で参加できたり、小さいうちから予選本選と勝ち進んでいくタイプのものもあります。

また、合唱や吹奏楽コンクールなども、必ずと言っていいほど盛り上がりますね。なぜでしょうね。

単純に、人間にとって、目標をもって取り組むことで、短期間に普段以上の集中力を使って努力進歩していく体験は、ある程度の辛さとセットになった快感なのかなと思います。そして、コンクールのような競争ごとというのは、その結果に喜んだり落胆したりする様々な感情さえもセットになったイベント、いまの私は、そうとらえています。

コンクールの存在を客観視しながら参加することで、本気で勝ちに行こうとしているのか、そうではないか、ということをしっかり自分自身(あるいはチーム)ではっきりさせて参加することは大事だと思います。勝ち負けではない、という人もいますが、結果がつくということ自体、音楽での勝負ごとということになります。変にきれいごとにしないほうが割り切れるなあと思います。

同じような演奏が、同じコンクールにおいては良い成績になり続ける、というのも、うなずけます。

いずれ、自分の中での目標はきっちり決めて参加し、有意義だったといえる終わり方になれば成功です。

前置きが長くなりましたが、ここで言いたいのは、コンクールというイベントがどうこう、ということではなく、そこで繰り広げられる演奏について。

勝つ演奏、というのは、およそわかります。スキがなく、きっちり練習を重ねたことがわかる演奏。よくぞここまで練習したものだ、と、感心するような演奏。当然と言えば当然。でも、やはり、評価とは別に、表現者の立場として、なにがしかの違和感を感じる場面もないとはいえません。

表現者の立場に立った時、スキがない演奏というものを、本当に良い音楽、心地よい音楽と感じられるかということ。コンクールという場で心地よさを求めるというのも違うんだろうなあとは思いますが、音楽って何なのだろうという気持ちになってしまうことがあるのもまた事実です。

生み出される音楽は、人工的なものではなく、自然から生まれたかのようなものであってほしい。自然のなかには、いびつなものもたくさんあるし、一方で息をのむほどの美しさも存在するわけで。楽器も人間の声も、本当は、実に色々な響きが出せるし。立派で綺麗なのが良い、という観点だけでくくりたくないですね。

コンクールに勝つ(あえて勝つという言い方をします)ための練習と、長期的に様々な表現力を身につけることを目的とした練習というのは、実は、なかなか同時に成しづらいのではないかとこの頃思います。

そのことをわかって、信念をもって勉強し、コンクールという場を借りて演奏表現をし、その結果が思わしくなくても、自分の中に軸があれば納得できます。

表現者として、様々な場で演奏への率直な感想を持つのもまた自然なこと。

・・・最近聴いた身近なコンサートでのピアノ演奏では、音楽って良いな、いくつになっても演奏で表現し続けるって素敵だな、と、素直に感じさせて頂きました。そこに確かな音楽が宿っているけれど、上手すぎないって、なんだか良いなあ。