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大きい音

盛岡市ピアノ教室「ミチコピアノアカデミー」

2024年3月2日のブログです。

音の数が多めの曲を練習していた、ということもあるのですが、「大きい音」で弾けている気になっていた雑な部分があったなあ、と、反省しつつ、気づけたことに感謝し、軌道修正しつつ進んで行こうと、意欲を新たにしているところです。

現在の奏法を学んで最も良かったことは、まずは身体の自然な使い方を知ったことです。特に、肘の在り方に関して、学び初めの頃は、外側に回すような癖がなかなか取れず、そこに意識を持っていくことさえ上手くできなかったように振り返っていますが、今は、それなりに、自然に使えるようになってきました。

他にも挙げれば色々ありますが、「とりあえず弾く」という段階についてだけでも、ずいぶん大きな成果というか、納得できることを教えて頂いてこれたと思っています。ここまでだけでも何年かかかりました。

最近久しぶりにレッスンを受けてみて、脱力と響きに対する感覚が雑というか自己流になっていたことがわかりました。楽に弾けるようになってきたこと、明らかに以前より良くなり続けている、という手ごたえがあって、表面的なところに意識がいっていたのかもしれません。

それは「間違っている」ということではなくて「やるべきこと、感じるべきこと、そして気にしなければならないこと、は、今やっていることの手前にあったことに気づいた」というような感じです。

「これは確かなことだ」という手ごたえのようなものを感じてこれたレッスンでした。

早速、生徒さんたちに、報告がてら、同じように脱力チャレンジをしてもらっていますが、皆、明らかに響きが変わることに感動しました。

ピアノの音を「出す」ことばかりに意識がいくのは仕方のないことのようにも思いますが、音を出すというよりピアノから引き出してくるような響き、という世界を実際に見てしまうと、自分には到底できない、とかいう「自分」を軸にした感覚ではなく「知りたい」「近づきたい」という意欲のほうが勝る感じでしょうか。

音楽的な歌いまわしではなく、響きそのものに魅力が宿る演奏が、好みです。演奏に自分を出す、ということの反対、ただ受け取る、という感覚。あらためて肝に命じていきたいです。これまでもそういう気持ちで取り組んできたつもりでしたが、時折軌道修正は、必要だと思いました。私自身はまだまだうわべの音楽をなぞっているだけだったなあ、と、反省とともに楽しく基本に取り組み始めました。(なんだかいつも「始めて」いるみたいですが」)

指導者が何を見ているか、何に気づけるか、責任は重いですが、そもそも大した自分ではない、ということを認めつつ、できる勉強はし、精一杯学び練習して過ごしていけば、そう間違いはないだろう、と、気楽に構えています。

ただ弾くというか、なんとなく大きい音を出してしまうと、見えなくなるもの、聴こえなくなるもの、そして感じ方が鈍感になってしまう身体の感覚があることがあらためてわかりました。まずは身体の感覚、というところに意識を向け、教わってきたことにあらためて取り組んでいきたいと思います。

奥が深い学びは、よそ見をせずに済む安心感があります。どんな演奏にも素敵なところはあり、あれもこれも素晴らしい、という感想はそれはそれで置き、「では自分が目指したい演奏はどのようなものか」を、はっきりさせていくことで、軸ができ、指導も曖昧ではないものにしていけると、感じているところです。

弾き方、音色には、色々な好みがあっていいと思います。ただ「選択肢を知らないだけ」で、そういうものだと思い込んでいるだけ、というのはもったいないかな、と思います。