向き合ったぶんだけ
盛岡市ピアノ教室「ミチコピアノアカデミー」
2021年2月14日のブログです。
「向き合う」ということ。この大切さを思います。
ものを教える人間であれば、その「もの」に向き合うことがまずあって、そのうえで教える相手に向き合う。
「もの」に向き合うことは、自分自身に向き合うことにつながってきます。
自分の欠点や短所が丸見えになっても、他人に向き合うかのように余裕を保ち、自分の欠点を全否定せず長い目で見守る気持ちと、自分自身を甘やかさない気持ち、この両者のバランスをとりながら・・・
ピアノに限らず、勉強においても「そのことと向き合い続けている」先生の教えは面白いらしく、昔、高校生のこどもが、もともと全く興味がなかった科目を「面白くてしかたない」と言いながら自分から取り組むようになっていく様子も目撃したことがあります。期間限定の勉強でもそうなのですね。
「できるようになる」ことと「面白いと感じる」は、どうやら一緒ではなさそうです。面白くなってきてはじめて「自分からそのことに向き合う」ようになっていくのでしょう。
向き合った時間と濃さのぶんだけ、たしかな力と、誰にも奪われない喜びが蓄積されていきます。ピアノの練習は孤独だという人もおられますが、「向き合って」練習できていれば孤独なんて感じないのではないかなあ。向き合う相手が人ではない、というだけですから。
何かを目標に頑張るのもいいですが、果たして本当に「そのことに向き合えて」いるのか、という根本を、時々振り返ってみたいものだと思います。
自分の「音」に向き合うことからも目をそらさず歩いていきたいですね。どうしても「曲」にばかり意識がいきがちになるので・・・
曲の魅力に力をもらいながら、現実の音を磨いていこうとする感覚を失わずにいきたいと思います。