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ロシアピアニズムとの出会い

2020年1月12日のブログです。

皆さまこんにちは。

2011年から2013年にかけては、ソロ演奏だけではなく、アンサンブルでのコンサート企画、演奏も、色々挑戦していた時期でした。

そんな中、2013年の6月のある日、本番に向けて、またまたラフマニノフのある曲を練習しながら、どうやったら楽にうまくいくかな、と、ある難しい箇所を何度も弾いていた時のことです。

「あれ?いま、できたかも!」という瞬間があり、「とても弾きやすかった気がするんだけど・・・わたし、今何をしたんだっけ?」と、数秒前の自分の感覚を思い出してみました。

「その瞬間、たまたま指の力が全部抜けてたような気がする・・」

状況をそのように思い出せたのですが、それまでの学びでは、抜くと言えば腕だの手首だの、という言葉が真っ先に浮かんでいたため、これってあるんだろうか?と、その場ですぐに、「ピアノ指脱力」のような検索をしてみたところ(実際検索した正確な言葉は覚えていませんが)、出てきた記事の中に現在師事している大野先生のブログがあり、私は直観的に「これだ!」と感じたわけです。その瞬間だけは、まさに「勘」でした。人生には、たびたびそういう時があるものです。

大野先生の存在、ロシアピアニズムの存在を知ったのは、私にとっては、まさに偶然でもあり、必然だったと思います。(誤解のないように申し上げますが、ロシアピアニズムは「指脱力」だけではありません。単純な一つのワードで説明できることではないですが、そこの説明は省きます。)

レッスンを受けてみたいと思い、一旦アシスタントの先生と連絡がとれたのですが、当時の私自身が忙しかったこともあり、体力も含めた諸事情で、やっぱり東京まで定期的に通うのは難しいかな、と、その時は、結局自ら先送りしてしまいました

・・・勇気を出して、実際にレッスンに通うまでの数年間は、毎日のように先生のブログを拝見しては(過去記事もたくさんありましたので)、試行錯誤をしていました。ロシアピアニズムの先生ではなくても、何人かの先生にワンレッスンを受け、感想やアドバイスを頂くこともしていました。

悩みながら自分なりに取り組み、ステージでも色々試し、おかしな弾き方をして、どうしたのと首をかしげられることさえありました。でも私は、弾き方を変えようとしているんだから、まだ進化の途中なんだから仕方がない、誰にどう思われてもかまわないと、開き直っていたような気がします。思えば、いつもピアノの弾き方のことを考えて過ごしていました。(レッスンで生徒には、弾き方全般に関しては、今の私はこう思うんだけどもっと良い在り方が見つかったら伝えるよ、というスタイルで、指導にあたっておりましたし、その精神は今も変わりません。)

「正しい弾き方が知りたい!」と願い続け・・・

わかっていたのはたった一つ「今はまだ正解じゃない」ということだけ。

・・・そして、一人ではもう限界、直接教えて頂かなければ、これ以上前には進めない!というところまできて、藁をもつかむ思いで、今度こそ先生の門をたたきました。そのあと続けられるかどうかなんて、もう、考えてもいませんでした。

当初は「とにかく身体に負担なく難しい曲も楽に弾ける」ことを目指していたように思います。ロシアピアニズムは、それだけではなく、こんなにも響きにあふれ、立体的な音楽になるものだとは、はじめは知りませんでした。そりゃそうです。そのような音を一度も間近で聴いたことがなかったのですから。

倍音による響きの存在のすごさは、じわりじわりと実感していくことになります・・・

藁をもつかむ

こういう気持ちってすごく大切ではないかと、振り返ってみて思います。そしてやっぱり、人は人からしか学べない。それも、理屈だけではなく体験を通してしか・・・

初めて先生のお宅に伺った時の気持ちは、一生忘れないと思います・・・絶対に自分の演奏を変えたい!自分のためにも、生徒たちのためにも。その一心でした。

そして、ありがたい修行の日々が始まりました。

これまでの何がまずかったのか、どうすれば楽器が歌うのか、それは、精神論でも才能論でも、努力論でも、偶然でもなく、ちゃんとした「やりかた」があるのだということを、音楽人生ここまできて、初めて知ることとなるのです・・・耳が開いていなかったことも。

歌うのは、演奏している人間ではなく、音を出す楽器です。演奏者は、楽器を歌わせなければならない。そもそも、「歌う」という言葉の認識から、考え直さねばならないと気づきました。

曲にふさわしいイメージを持ち、音もきれいでセンスの良い歌いまわし、強弱がついて、技術的にハイレベルで魅力のある演奏であっても、肝心な「ピアノの音」自体は、ほとんど歌っていない(基音が目立つ演奏)、ということがある、ということなど、それまで深く考えたことなどありませんでした。

それまでは、ほとんどにおいて、曲を構成している「音」を、耳で拾いながら聴いていたし、弾いていた、ということです。言葉にするとややこしいですが。

「脱力」も「歌う」も、ピアノ指導において頻繁に使われる言葉ですが、教える側の理解のレベルは重大なことだとあらためて感じています。初心者への指導においては、特にもそうだと思っています。

たとえばショパンのエチュードを、全曲ではなくとも、せめて数曲、いつでもどこでも、自然かつ響きのある演奏ができるぐらいで、はじめて、ある程度理解した、と言えるのだろう、と、考えています。自分への基準として。

健康な身体があっての演奏だということをいつも忘れず、一歩ずついきましよう。

今日はこのへんで。