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「わからない」と「できない」は違う

盛岡市ピアノ教室「ミチコピアノアカデミー」

3月21日のブログです。

タイトル通りの話です。

「できない」の理由が「わからない」ということって、あるような気がします。

楽譜を読む、ということ一つをとっても、音符がわかるイコール楽譜が読める、でもありません。

音符は土台となる情報の一つです。特にありそうなのが「リズムを正確に読み取れない」ということかなと感じます。これって、けっこう弾けるようになっている人でも、確実ではない場合もあります。

さらに突き詰めてしまうと、ソルフェージュ的なリズム読みができても、そのまま演奏してしまうと違和感だらけの場合もあるし、演奏って本当にむずかしいのです。そして、演奏の山を登るルートは一つではないということでもあります。

話を戻しますが、ピアノって、やることが多すぎて、私が子どものころのルートでは、飛び級状態になってしまいます。突然ブルグミュラーやソナチネが出てくる。それでも、ある程度の能力を備えていて、努力を自然に重ねられる場合は、あとから足りないことを補いながらさらに上までいけるかもしれませんが、そうではない場合、「わからない」ということになっていくかもしれません。

指と鍵盤の関係、動きをある程度覚えていれば、教えてもらえば曲にはなりますが、初見でわからないことだらけの場合、応用がききません。

演奏は楽しいですから、とにかく覚えて、素敵に立派に弾けるまで練習をするのは良いことですが、本当の力をつけるには、とにかく簡単でもいいから、たくさんの譜読みをしていくことだと思います。

今目の前の楽譜の中で何がわからないか、譜面を見て瞬時に答えられるなら、それは、次のステップにいけます。今教えてもらって覚えればいいのです。

譜面を読む、ということは、全体を把握することだ、ということを、できるだけ大切にしていきたいといつも思っています。あえて言うなら、音符は最後、かもしれません。

ブルグミュラーやソナチネレベルの楽譜を、初見でゆっくり音楽的に弾けるくらいの力が付いたら、じゅうぶんではないでしょうか。そこまで行けたら、その先の難易度の高い曲に、むやみに近づこうという気もおこらないかもしれません。進み方を選択できます。質を高める喜びは、早い段階で知っている方が幸せではないかなと、個人的には感じています。

難しい曲をどんなに弾ける人でも、曲が変わるだけで中身は同じ、という演奏になってしまっていることに気づいたら、やはりインベンションやソナチネくらいの譜面の曲に戻って、自分に足りないことは何かを発見する、教わる、ということが必要だと思います。難しい曲は、情報が多すぎて「弾けて満足」で終わってしまう場合もあるので、逃げ隠れできない中級の曲で学ぶのは大事かもしれません。

私自身の話ですが、ある意味「できる」をあきらめながら学んでいくことで、見えてくるものがありました。学びに終わりはありません。ありきたりですが、日々の一歩一歩に大きな意味があるのだと思います。