その人だけの世界
盛岡市ピアノ教室「ミチコピアノアカデミー」
2022年2月22日
22時22分の投稿です(すごい日時だと先ほど気付きましたので、やってみました)
ピアノは人生を楽しむためのものであってほしいと以前書きましたが、もう少し掘り下げると「自分だけの世界でより幅広く楽しく遊べるためのもの」あるいは、ある程度弾ける人ならば「より思い通りに表現できるためのもの」になっていってほしいという感じです。私が、ご縁あってレッスンさせて頂いている生徒さまに対して思っていることは、これに尽きるといってもいいです。
ここではあくまで一人でピアノを弾く場合を想定しています。
その目的のために、自分がこれまでに身に付けてきた技術をすべてお伝えしていくし、どんなときも常に何らかの具体的なアドバイスをお伝えしていくし、お子さまや初心者の場合は、当たり前ですが、音楽の基本を教えていく、ということです。
技術がなくても、ピアノで音を出して遊ぶことはできますし、曲を覚えればそれなりに表現もできます。教師の仕事は、「より幅広く」「より思い通りに」表現できるとはどういうことか、そして、そのための方法を可能な限りお伝えしていくことに集約されると思います。より良くなるための手立てを与えなければ意味がないと思います。
それらを受け止めて、試行錯誤しながら練習したり、お子さまであれば、まずは一つ一つ覚えるための勉強的な積み重ねをしたりするのは、ご本人の責任の部分ですが、そのことを重ねていけば、こんな風になれるよ、ということをお伝えし、勇気を与えてあげるのも、使命でしょうか。
音楽の表現というのは、「聴衆に伝える」という部分を含みますけれども、あくまでも「自らの手で表現できることで自分自身が満たされる、心が落ち着く、あるいは、前向きに生きるエネルギーがわく」というようなことがまずあって、その先に、聴衆がいる、ということだと思います。ここはとても大事なところです。先に聴衆を意識してしまうと、本末転倒。ピアノを弾く、というのは、本来「その人だけの世界」です。誤解を恐れずあえて言うなら、親や教師だって、踏み込んではいけない部分があるいうことを、周りの人間も理解していなければならないと感じます。
発表会に出たいから、あるいは発表会やコンクールに出したいから、それをモチベーションにピアノの練習を頑張る、頑張らせる、というのをたくさん見ますし、それも素晴らしいことだと思います。過去の自分が長いことやってきたことでもあります。結果として弾けるようになれば、目的達成です。行動のきっかけは、なんだっていいと思います。実際に発表してみた高揚感、達成感というのは、そこでしか味わえないものが確実にあります。それは、精神的な味わいの部分ですね。
それはそれとして、ただ一つ思うのは、やはり、一人でピアノを弾くというのは本来「その人だけの世界」なんだということです。年齢やレベルに関係なく、なんだか良い演奏だなあと感じる発表って、落ち着いています。その人が、ピアノ演奏において自分だけの世界をちゃんと持っている、そんな気がいたします。逆に、本番に集中できないという場合の原因も、その辺りにもあるように思います。
また、演奏を発表する意味のなかには「思い出作り」という部分もあっていいと思いますし、単なる度胸試しでもいいですね。この辺も結局突き詰めると精神的な部分の話になっていることに気づきます。
結論、なんでもいいけれど、大きな目的や大事な意識を失わず、日々の練習をやっていきましょうね、というお話でした。良い技術というものは、たしかにあります。ここを見るか見ないか、気づくか気づかないかは、発表会云々ごときの話ではなく、運命の分かれ目と言っても過言ではない、と思っています。できる範囲で精一杯練習することで、様々な気づきが生まれてきます。どの段階においても、気づきはあります。教える側も、教わる側も、そこだけは同じだと思います。