発表会の目的
盛岡市ピアノ教室「ミチコピアノアカデミー」
2022年10月19日のブログです。
ピアノ発表会は、誰のために、何のために行うのか。
この問いにピアノの先生は何と答えるでしょうか。
「もちろん生徒のためです。目標にもなり、やる気にもつながり、終わった後の達成感は、次また頑張ろうという気持ちにもつながります。」このような感じでしょうか。
ピアノの先生と一口にくくることなどできません。個人個人別な人間ですから、人により違いはあるとしても、このような言葉は本当によく耳にします。
たしかに、生徒を自分自身に置き換えても、ある決められた発表の場があることで、責任をもって一つの演奏を仕上げようと意識していきますから、「良い練習」さえ意識していけるなら、発表の機会を設けるのは、進歩につながると感じます。
しかし、今の私が考える、発表会の目的は「生徒が先生以外の人の前で、レッスン室以外の場所で演奏する体験をするため」
これだけかな、と、思います。非常に単純です。
その結果感じるそれぞれの気持ちは様々だと思いますが、そこまでは、意識しませんし、それはどうでも良いことのように思うのです。
何が言いたいかというと、ピアノの発表会を、あまりに特別の日扱いしない、ということ。意識せずとも特別なのですから、無理な練習を直前に詰め込むのはやめましょう。普段から、良い練習を淡々と続けていれば、じたばたすることはありません。
普段やっていることを、そのまま出すだけ。
ピアノを習って得られる最も大切なものとは、独学ではできない、質の良い練習の仕方を身に付けることができる、先生を通して良質な音や音楽を感じ、自分の中に目指すものを育てていくことであって、何かの曲をとりあえず形にする、というのはその結果です。出来はどうあれ、過程が本当に大事。
発表会はイベントです。色々あっても、すべてひっくるめて、楽しみ、思い出になると良い。
レッスンこそが本番です。指導者側としたら、普段のレッスンをお客様に見て頂きたいぐらいのところです。それぐらい、大事であり価値ある時間がレッスンです。
良質な学びを重ねれば、そこに本人の意思さえ加われば、自然に曲の完成につながります。いつでも発表できます。
わかる人にはわかる、そんな演奏になります。不器用かもしれない、ひっかかるかもしれない、それでも、普段どんなふうに学んでいるかは、にじみでるものです。音を間違うとか間違わない、ということに耳が行かない演奏が、良い学びからは、生まれると思います。
「曲を弾けるようになるためにくり返す」ことの「質」が、そのまま、その人の生涯のピアノ演奏の土台になっていくわけです。この「生涯の」という部分は、ピアノに限らず、生きていくことに関わる無意識の何かに影響を及ぼすという意味も含みます。
質の良い音楽にするためには、質の良い練習を繰り返していくだけです。
良い音楽にとって必要なことは何か、の意識を「持つ」「深める」。そして、練習を重ねていくことでの自分の演奏の微細な変化を「感じる」、いつでも理想を持てる、そういった状態で取り組むことが大切。
難しいことではありません。
ドレミ、が、美しくつながった状態を発展させていくだけのこと。
恥ずかしながら、私自身、この、「レガート」ということの本当の姿に無頓着なまま、ショパンやリストをバラバラと弾ける大人になってしまいました。そして、ある時はっきり目ざめ、簡単なことではありませんでしたが、自分の演奏を変えたくて、取り組んできました。飽きっぽい私が、なぜだかピアノだけはあきらめずに今も毎日、もっと曲に相応しい音、音楽にしたい!と、ピアノと語り合っています。
正直、言葉でお伝えするには限界がありますね。
やはり、このような話は、ピアノを前にして、弾きながらお話をしたいなあ、と、思ってしまいます。