仕事とは
盛岡市ピアノ教室「ミチコピアノアカデミー」
2025年5月9日のブログです。
「仕事人としてのプロ意識」を、忘れてはいけないですね。自分への戒めとして、今日は書いています。
振り返ってみますと、「ピアノ教師という仕事」のあり方について、もう少し広げると、「ピアノ演奏や指導をして報酬を頂く場面」の在り方について、私自身、意識が足りなかったり、甘かったりした時期が長かったように思います。「先生」と呼ばれる仕事は、恐ろしいと思います。頭を下げて頂く機会、感謝されたり褒めて頂く機会が多いから。
教えることも、演奏することも、なにか迷惑をかけることでもない限り、人様から感謝されるだけです。だから、自分の仕事のありかたについて、もっとこまめに振り返っていこうと、決意しています。
そうしていかないと、力強く前に進めなくなりそうです。慣れほどこわいものはありません。
いつも精一杯指導や演奏をやってきたつもりですが、「仕事」というものは「一所懸命かどうか」で、判断されるものではありません。結果がすべて。
結果、というのは「お客様が満足したかどうか」ということです。「先生が満足したかどうか」ではありません。コンクールに入賞したかどうかでもないし、ましてや、発表会を観にいらした方に褒められたかどうかなどでもありません。
ピアノ教室は、先生と生徒という関係です。師匠と弟子なので、弟子は師匠に従う、という図式になるわけですが、先生である側が「生徒さんがお客様である」ということを、いつもどこかでわかっていなければならないと、最近、思います。
過去の自分は、「その生徒さんが潜在的に求めるもの」を見抜く力も、引き出す気持ちも、そこまでなかった。若かったこともあるし、稽古事とはこういうものだ、という刷り込みが大きかったと思います。
幸い、生徒さんやご父兄さまに恵まれてここまで長く歩んできたわけですが、だからこそ「過去の自分の甘え」について、なんだか感じるようになってきたのかもしれません。
いま、教室の生徒の皆さんも、お家の方も素晴らしくて、何事にも協力してくださるし、トラブルのようなことは何もないし、これまでに不快な思いをしたこともありません。だから、こうして自分に喝を入れていかねば、と思います。
「生徒さん本人さえ明確には気づいていない、それぞれの生徒さんの求める未来に近づいていけるようなアプローチができる先生」が、本物のプロの指導者、仕事人なのだろう、と、思うようになりました。これはもう、ピアノの技術を教えるということを越えていて、そんなことできるのか、というレベルの、ものすごく難しいことのように思います。けれど、それぐらいの意識は持つべきかなと。この年齢でピアノ指導を続けるのなら。
この先、おばあちゃん先生になっても指導を続けているのなら、「エスパーおばあちゃん」といわれるぐらいに、見抜く力のある人間になっていたいものです。
・・・私が思うピアノの先生の大きな仕事の中のひとつに「生徒さんが新しい価値観に目覚め、より豊かな気持ちでピアノや音楽に向かえる手助けをする」、というものがあります。
奏法のこともその中の一つです。
レッスンでは、「そうですよね」と、生徒さんが相槌を打つ場面も、あっていい。「自分でもわかっています」というようなこと。でもできれば「そうなんですね!」「なるほどそうか」という割合が多い方がいい。新しい価値観には、お金を払って習う価値が高いと思うから。でもこれも、お客様それぞれの望むものによりけりです。
より良い仕事ができるよう、健康に気を付けていきたいと思います!