バカになるということ
盛岡市ピアノ教室「ミチコピアノアカデミー」
2024年9月30日のブログです。
人が何を言っているかとか、どういうことをしているか、など、表面に見えるものは色々ですが、結局、大事なのは、その人が「どこを見ているか」「何を感じているか」だなと常々思います。
たとえ、やっていることの路線が違ったとしても、過去にとらわれず、今を生きている者同士は、ある意味において、通じるものがあるはず。
過去の積み重ねは大切ですが、一歩間違うとそれは、過去にとらわれ、過去の栄光(過去の若さという輝きも含め)を手放せない、執着といえるものをまとうことにもなるのかもしれません。
過去は、積み重ねるものではなく、通過するものだと今は感じています。
自分が何を考えているかさえ、明確には表せません。ましてや他人のことなど、もっとわかりません。けれど、会話の中で、同じ時間を過ごす中で、同じような感覚を持つ人間同士は、はっきりわかるものだと思います。
うまい言葉が見つからないのですが、どこかで「バカになれる」ということ、これは、とても大事。歳を重ねるほどにそう思います。というか、若いうちにはそんな必要はないかもしれないけれど、ベテランというぐらいの年代になったら必要なことではないかな。
ものを教える人間、表現する人間には、特に必要なことだと思います。
他人を妬んだり、比較して下に見たり、あるいはその反対に上だと感じる人に媚びたり、というようなことと、真逆にあるあり方が「ちゃんとバカになれる」ということかなと思っています。
ふざける、という意味ではありませんが、ふざけることぐらいできなくては、とも思います。
過去には見えなかったものがより見えるように、聴こえなかったものがより聴こえるようになる、年を重ねていくとはそういうことだと信じています。
人生を振り返り、我ながら「バカだな」と思えることがあったなら、もしかしたらそれは、案外素敵なことだったのかもしれません。