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目線の先

盛岡市ピアノ教室「ミチコピアノアカデミー」

2024年1月24日のブログです。

ピアノのレッスンを始める、進める、ということは、教える側にとって、思いのほか、難しいものです。少なくとも私自身はそうです。

指導経験を重ねて、その難しさの正体が明らかになってきている、という感じでしょうか。今日は、その話をしたいと思います。最近同じようなことを書いた気がしますが、今の自分のテーマのようにも思うので、もう一度書きます。

結論を言いますと、レッスンを受ける側の目線、というものが人により様々だからです。この、目線、というものが、非常に重要なところです。

受け手が、指導者側の目線を、今はわからなくても「直観で信頼できる」という姿勢を無理なく本心から持てる場合、レッスンは時に不思議な力さえ持つかのように、効力をもっていくようです。そして、受け手の方は「目線が変わっていく」体験をしていくことにもなっていくかもしれません。このことは、合唱指導の際、大きく体験した経験があることでもあります。

お子さまの場合は、保護者の方の目線、というものが主かもしれません。

どんなに指導側が良かれと思って伝えても、数年先を見据えた指導だと信念していたとしても、極論を言ってしまえば、受け取る側が「同じ確信」を持ち合わせていなければ成立しない、ということになってしまいます。

しかし、ピアノを習っているほとんどの場合、わからないから、できないから先生に習おうとするわけで、確信どころの状態ではありません。

そこで、レッスンを始める前のカウンセリング、聞き取り、のようなものを丁寧に行い、生徒さんの望むもの、今の感じ方、など、こちら側はできるだけ知る必要がある、と、思う次第です。私自身、過去にここをさらっと流してしまい、すでに信頼されている前提で、勇み足でレッスンに突き進んでしまい、あ、違ったかな、もっと前段階を踏むべきだった、と、反省した経験があります。相手をびっくりさせてしまうこともあるのだ、と、その時知りました。

特にご経験者の場合、どんなふうにこれまで学んできて、何を悩み、これから学びたいと感じているかを丁寧にくみ取る意識を大事にしなければと思います。

こちらとしても、心のどこかで「根掘り葉掘り相手のことを聞くのは失礼かも」などという気持ちもあるわけです。だから、安心していただきたくて、こちらの自己紹介を中心にしてしまうこともあります。しかし、今は、大事なのはそこじゃないな、と、気づきました。

たとえば、ピアノという楽器へのアプローチについてですが、鍵盤の底まで押し付けるように垂直に指をいれて、指を動かして手のひらの支えがなく、腕が固まって、気持ちを込めて音じたいのミスなく一曲弾けている人がおられたとします。

さて、どうコメントするか。今できていること、音楽的な良さ、努力の表れ、同時に、演奏に際しての身体の使い方の大きな問題点、などなど、色々なことが見えます。

ここでコメントする際にも「その人自身の今の目線がどうか」を知っておくことが大きく関わってきます。

過去の私が一念発起して響きを求めてレッスンを受けなおした時の気持ちは「求める演奏に近づけるなら、過去の自分をまるごと捨てて構わない」というぐらいのものでした。こういう人には、何を言っても大丈夫なのですが、ある程度弾ける人というのは案外「今の自分も悪くはないけど、もう少し何かを付け足したい」と、守りながら欲をもつというか、そんなところもあるものです。それはそうでしょう。莫大な努力の時間により、ピアノが弾けるようになったわけですから。その時、その人の求めるものの深さ、目線を無視してにあれこれ突っ込むのは、勇み足です。

もちろん、一度きりのレッスンか、これから継続していくか、で、何を選んでお伝えするべきかは大きく違ってもきますが。

また、レッスンは楽しんで集中もできるけれど、まだ家での練習ができない幼児の場合「まだ練習できなくても、曲を弾けなくてもいい」というこちらの言葉の意味、意図をお家の方が、ある時期まで信じ切れるか、というところも難しいところかもしれません。こればかりは強制もできませんし、お子さまのレッスンは、お家の方の考えが一番の影響力を持っていくのは当然で、こちらは、できるだけ意思疎通を図るよう努力することしかないと思っています。

いずれ、「これが絶対だ」ということではないものを扱い、ましてや、人に示していく、というのは、本当に難しいもので、そのぶん、毎度毎度緊張感を持って臨むしかないのです。

目線の先にあるもの、このことをある程度共有できるかどうかは、究極のところ「人生観」によるのかもしれません。ピアノ、という具体的な学びでも、やっぱり「生き方、人生への感じ方」が、大きく関わっているように思えてなりません。