1. HOME
  2. ブログ
  3. 早咲き遅咲き

早咲き遅咲き

盛岡市ピアノ教室「ミチコピアノアカデミー」

2023年12月18日のブログです。

ピアノは、人によって進度にだいぶ差がでるものだと感じます。自然なことです。

スポーツで言えば、はじめから足が速いかどうかはある程度決まっているように。だから、子ども時代に決着をつけようと考えないことが大事だと、強く思います。

咲く、という言葉をタイトルにしましたが、何をもって咲くというのか。

ピアノ演奏についていえば、本人の心からの納得と表現の一致、とでも言いましょうか。それはなにも、すごい曲を弾けるとか、たくさんの人に喝采を浴びるとか、そんなことばかりを指していません。むしろそうではないです。その人の人生の、その時点においての、ということです。あくまで、当人の感覚だと思います。

遅咲き。私自身は、完全にこちらだと思っています。

幼いころの自分は、なんでも器用にできていたようで、練習も苦にしたこともなく、進度も速いしコンクールでも入賞してみたりしていたようですが、満足できた覚えはなく、成長につれて、ある時期は次第に練習が苦痛にもなっていきました。どんなに練習しても自分より上手なお友達のようにならないことに気づいたからかもしれません。今の時代よりもっと「人と比較する」という風潮の中でしごかれていたからかもしれません。だいぶ機械的な練習を繰り返していた記憶があります。

その頃身につけたものは「花」ではなく「蕾」だったんだな、と、思います。親のおかげで得た蕾が、巡りめぐって、人生も後半となり、ようやく咲きかけている、そんな実感です。

こどものうちは、人から見て「咲いている」ように見えても、ほんとうにそうとは限らないということを、大人は知っていないといけない。また、それとは反対に「咲いていることに気づかないほど小さな蕾が咲きかけている」ことにも、大人は気づけないといけない。ピアノ演奏においては、こここそが、教師の実力が試されるところかなと思い余す。

見守る、というのは簡単なことではなく、大人自身が、「小さな自分の花」を意識して咲かせながら、経験を重ね成長しながら、ようやく、できることなのかな、と、思います。

そしてあらためて思うのは「花は何度でも咲く」ということ!

自然界の花たちも、一人一人が人生で咲かせる花も、同じだと思います。