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奏法だけではない

盛岡市ピアノ教室「ミチコピアノアカデミー」

2022年10月24日のブログです。

結局、人間の表現というものは、その人のすべてが現れるのだと思います。

演奏はもちろん、言葉にも、態度にも。

何があらわれるかというと、「何を経験して生きてきたか」ということだと思います。

別な言い方をすると「どんな気持ちを味わい、どんな風に乗り越えて今生きているか」ということ。それが、今のその人のすべて。

大げさなことではありません。人生は、日々、色々なことが起き、色々な人と関わり、その都度心を動かして私たちは過ごしています。

美しいものを美しいと感じる心が大切、などということを言いたいのではありません。

そういう口当たりのいいことではなく、自分の実力、自分の性質、自分の環境、そういったことで簡単に乗り越えられないことと立ち向かい、葛藤し、乗り越える経験。あるいは、逃げる経験。なんでもいい、葛藤し、内観し、心が動く、こんな経験の積み重ねが、その人の演奏に宿ると思います。

子供だって同じです。学校という社会は、色々あるのです。

ですから、能力にも環境にも性質にも恵まれ、何でも自分の思い通りに生きてこられた人が、もしおられるとして(それはそれで、人生に学びが少ないというデメリットは大きいですが)練習環境も、すべての条件がそろい、幸せな努力だけを重ねて出てくる演奏は、その人の才能×努力以外のプラスαが薄くなるのかもしれないなあ、と思います。

これは、最近、色々な演奏を聴くたびに、感じるようになってきたことです。

音楽表現のためには、技術だけではなく、色々な感情を知っていることが必要なんだろうなあ。そしてそれは、自然ににじみ出ていくものなんだと思います。

喜びを表現できるためには、深い悲しみを知っている必要がある、みたいな感じかなあ。

・・・また、音楽大学までいけるという人は、基本的にはとても恵まれています。才能と努力だけではかなわない。

色々制限された環境で、悩みがあるなかで、ピアノが好きで演奏することを楽しんでいる、その演奏には、その人の人生で経験してきた葛藤がブレンドされているのだと思います。それが、プロアマ問わず他人の演奏に感動する一つの理由ではないかと。人の心を本当に動かすものって、表面的なものではなく、本人さえも気づかない何かなのだと思います。

だから、同じ人間なら、年を重ねた方が素敵な演奏になるのは当たり前なのです。いつから始めても遅くない。

歳を重ねても、健康で動ける限りピアノは楽しんでいけるし、どんどん素敵に弾けるようになるようにできているのです。これは実体験なので、自信をもって書きます。

楽に弾ける良い奏法を身に付けることで、自分史上最も良い演奏がかなっていきます。

「心を打つ演奏に必要なものは奏法だけではない」から「奏法が大切」というわけです!

言ってること、伝わりましたか。こんな風にややこしく着地するつもりはありませんでしたが、書きながら「そうだよなあ」と思いましたので、このまま投稿しますね。

いつも、頭になにか浮かんだときに、一気にさらっと書いて投稿しています・・・お読み頂きありがとうございます。