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音楽にあらわれる

盛岡市ピアノ教室「ミチコピアノアカデミー」

2024年4月25日のブログです。

音楽を表現するために技術がある。その逆ではありません。

自然に、その音楽にふさわしいように身体のすべてを使いこなせ、楽器からふさわしい響きを出せたなら、もう何もする必要はありません。

簡単にそうできない、そうならない理由は、様々だと思いますが、一つには、最初にピアノに取り組んだ時、どのように取り組んでいったか、に原因があると思います。

また、譜読みの「読み方」にも、大きな原因がありそうです。音符が読めてリズムがわかることは、音楽を読み取ることそのものではありません。

「1音1音を読み、弾き、それらをリズムでつないで、曲の形にする」を、長年やっていると、音楽を塊でとらえたり、音符を聴かずに大きく音楽を感じる、ということができにくくなります。そして、テクニックも、1音1音、になる。これは、私自身の過去に自覚のあるところで、ピアノが弾ける人でそういう方は、案外多いのではないかと思います。

音楽のイメージが先、であることは確かだと思いますが、「どのようなテクニックを使って演奏しているかが音楽にあらわれる」というのも真実です。

音階、ドレミファソ、だけでも、違いははっきりあらわれますよね。

イメージがわかない、という人でも、自分自身の音や響きが少しずつ豊かになっていくと、どんなふうに弾きたいか、が、どんどん浮かんでくることもあると思います。私はどちらかというとこのようなタイプだと思います。

今の奏法を学び始めて7年目になりますが、ようやく、何か見えてきたきた気がいたします。これは、ピアノという楽器に向かった時の感覚でもあるし、未来の自分に対する期待でもあります。言葉にするのは難しいですが、ピアノを弾くことの本当の喜びみたいなものに焦点が当たり始めている感じです。音は変わる、楽器から出る響きは、どこまでも演奏者次第なのだということを、先生方の響きから教わり続けています。

おそらく、ある意味においては、自分の演奏は、以前とはまったく別物になっているのだと思います。

・・・いつも読譜の大切さを話していますが、基本の譜読みができることは前提として、音符を弾くのではなく、どんな音楽なのか、を、いつも意識して、そこにふさわしいテクニックを見つけていかなければなりませんね。ここが最も楽しいところですし、自分の受けるレッスンにおいても、先生から多くを教えて頂いているところです!